『墨俣城』

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登城日 2011.9.8

別名 『一夜城』

墨俣城 website

墨俣城 wikipedia

 

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墨俣城は、現在の岐阜県大垣市墨俣町墨俣にあった戦国時代日本の城である。

築城時期は不明である。長良川西岸の洲股(墨俣)の地は交通上・戦略上の要地で、戦国時代以前からしばしば合戦の舞台となっていた(墨俣川の戦い)。斎藤氏側で築いた城は斎藤利為らが城主を務めた。また、1561年永禄4年)ないし1566年(永禄9年)の織田信長による美濃侵攻にあたって、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)がわずかな期間でこの地に城を築いたと伝えられている。これがいわゆる墨俣一夜城である。信長はこの城を足掛かりとして、美濃攻略に成功し、秀吉も出世の道を開いたとされる。ところが信長にとっても、秀吉にとっても重要なこの事件について、太田牛一信長公記をはじめとする良質の史料には、全く記載がない。

秀吉が一夜城を築いたという話には、それが史実であることを窺わせる史料的な裏付けがない。 今後、そうした史料が見出せぬ限り、秀吉が築いたという墨俣一夜城は、実在しなかったと断言せざるを得ない。


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